[トルコ イズミル] 街歩きTurkey Izmir City walk

[トルコ イズミル] 街歩きTurkey Izmir City walk

イズミルは、トルコ第3の都市で、港街で、古くからの歴史があり、見所満載です。

 古代アゴラ遺跡 (AGORA ÖRENYERİ)に行きました。アレキサンダー大王の時代に建てられた3階建て市場の跡で、178年の大震災以後マルクス・アウレリウス・アントニウスによって再建されたものが現在も残っています。アゴラとは、「市場」や「広場」という意味で、古代ギリシャの人々が集まる場所であったと言われています。地下にあるアゴラの跡のアーチがとても美しく、中央にコリント形式の支柱が数本並んでいます。列柱も残っています。水道・泉?にはスミルナと書いてありました。
イズミル考古学博物館 (İZMİR ARKEOLOJİ MÜZESİ)は、イズミル及び周辺地域のバイラクル(スミルナ)、エフェソス、ベルガマ、ミレトス、アフロディシアス、サルデスやイアソス等から出土した考古学的発掘品を展示しています。
アゴラ遺跡の近くに交番があります。日本の交番と違って道を聞いてはいけないそうで、犯罪があったときに行くところだそうです。
イズミルのシンボル的な存在のコナク広場に時計塔 (SAAT KULESİ)があります。
バザールのケメルアルトゥ(KEMERALTI)は、コナック広場とアゴラ遺跡の間に広がる大きな商店街で、天井はありません。中に珍しい横型ドネルケバブ店があります。また、イズミルに行ったらここに行くように言われたトルココーヒー店が、アクセサリーや土産物屋が集まっている1598年に建てられた旧隊商宿:KIZLARAĞASI HANI(クズラルアァス・ハヌ)の壁に沿ってあります。インフォメーションセンターでもらった資料をトルココーヒー店で忘れたら、ちゃんと取っておいてくれて、戻ったらすぐに渡してくれました。
KORDON(コルドン)と呼ばれる海岸通りにシーフードレストラン街があり、チプラçipuraという鯛の焼き物を食べました。前菜のような小皿料理を持って来て選べと言われて、たこを選んだら、メインの料理より高かったです。海岸通りから少し入った海が見えるところに肉料理のレストランがあり、ピルゾラ(チョップ)を食べました。美味しいです。ピルゾラは日本人には人気ですが、地元の人は食べないのでしょうか?
「愛の小径」古本屋台通りはしゃれた通りです。
バスマネ駅の近くにロカンタ街あり、安く食事ができました。行っていませんが他にも見所はあるそうです。
港街だからでしょうか?猫さんたちに会いました。みなさんに優しくされているようです。

イズミルから行ける観光地
港街チェシメ、ウルジャビーチ、美しい街アラチャトゥ、世界遺産のエフェソス遺跡(以上はYouTubeで紹介済み)、シリンジェ村、エスキフォチャ、スアジュク、シェヒルヒサール、世界遺産のペルガモン遺跡(ベルガマ遺跡)、ペルガモンアクロポリス遺跡 (Bergama Akropol Örenyeri)、ベルガマアスクレピオン遺跡 (Bergama Asklepion Örenyeri)、ベルガマ博物館(Bergama Müzesi)などがあります。

歴史
日本語ウイキペデアによると、次の通りです。なお、地形は、5000年の長い歴史があるので、時代により変わっているそうです。詳しい歴史を知りたい方は、イズミル、スミルナの歴史で検索してください。

ヘロドトスによれば、紀元前1000年頃にアイオリス人によって建設され、その後、イオニア人たちの手に渡り、文化的・商業的中心地として大きく発展した。イオニア同盟の主要な都市の一つとなる。ホメロスが暮らしていたのもここであったと言われる。リュディアの攻撃(紀元前600年ごろ)によって破壊された。その後、リュディアやアケメネス朝、アレクサンドロス3世(大王)によって支配された。紀元前1世紀よりローマ帝国、4世紀以降は東ローマ帝国の支配下で繁栄する。
1076年、スミルナ(イズミル)は古代ギリシャ都市のクラゾメナイやフォチャや多数のエーゲ海の島々とともに、セルジューク朝の指揮官チャカ・ベイ(英語版)によって占領された。これが初めてのトルコ人による占領であった。チャカ・ベイはスミュルナを海軍基地として使用した。1102年に彼が亡くなると、スミルナや周辺地域は、東ローマ帝国によって再び占領された。コンスタンティノポリスが1204年の第4回十字軍によって征服され、港町スミルナは聖ヨハネ騎士団によって占領された。しかしニカイア帝国は、ジェノヴァ共和国が引き続きスミルナの城を支配するなど多くの譲歩を必要としたが、スミルナをその後すぐに奪還した。
 14世紀半ばからはオスマン帝国領に浮かぶ飛地となった。1402年にティムール朝に占領された後、1415年にオスマン帝国に占領される。オスマン帝国は異教徒や異民族に寛容であり、17世紀から19世紀にかけて様々な出自の商人たちが集まり、国際商業都市として栄えた。とりわけアルメニア商人はイランの絹をヨーロッパの商人に供給して、利益をあげた。
19世紀になると、オスマン帝国の欧米に対する経済的従属が深まった。港湾部がイギリス資本によって整備され、1866年にはイズミルからカサバ、イズミルとアイドゥンを結ぶ鉄道が、同様にイギリス資本に支えられ開通した。これによってイズミルは、列強の工業製品を受け入れつつ、農作物を国際市場へと供給する拠点となった。列強による鉄道敷設はさらに進められ、1888年にイズミルとアンカラを結ぶ鉄道の敷設権をドイツが獲得し、1893年に開通させた。
 第一次世界大戦においてオスマン帝国が協商国側に降伏すると、1919年5月15日ギリシャ軍はアナトリアに上陸し、イズミルを含む一帯を占領した。その後、1920年8月のセーヴル条約で、ギリシャによるイズミル地方の領有が期限つきで認められたが、1922年9月にはムスタファ・ケマル・アタテュルクの率いたトルコ軍が奪還。その前後に起こった火災でイズミルは全焼した。1923年7月のローザンヌ条約によって、トルコの主権が回復された(イズミル上陸、イズミル占領)。
 この希土戦争を経て建国された新生トルコ共和国において、イズミルは重要都市の一つとして復興・発展した。

 ウイキに書いていませんが、オスマン帝国時代、宗教と民族に寛容だったので、イズミル(スミルナ)は、ギリシャ正教徒が住民の大部分を占めていた街だったそうです。ローザンヌ条約でギリシャとトルコの間で住民交換が行われました。現在はトルコ第3の都市となっています。

イズミルへの行き方
 ○飛行機
イスタンブールからイズミルへは、イスタンブール空港以外にもアジア側のサビハギョクチェン空港からもフライトが出ています。トルコ航空、アナドルジェット、ペガサス航空がイスタンブールから就航しています。国際線から直接乗り換えるときは、国際線の到着空港と国内線の出発空港を同じ空港にしてください。
 空港から市内へは電車とバスで行く方法があります。
 電車では、IZBAN(イズバン)に乗り、地下鉄に乗換できるHilal駅で降り、地下鉄に乗り換え、バスマネ駅などで降ります。地下鉄に乗るとき、スイカのようなイズミルカードを購入する必要があります。日本とは異なって1回券は売っていません。
 バスは、空港バスと市バスがあるそうです。行き先を確かめて乗ってください。

 ○長距離バス
 イズミル市中心部から離れたところにオトガル(バスターミナル)があり、各地から到着します。
オトガルの1階から市バスが出ています。バスはイズミルカードが必要で、キオスクか市バス乗り場のすぐ横のチケット売り場で購入してください。バスマネを通るバスに乗り、バスマネ駅で降ります。バスの窓からバスマネ駅の建物が見えます。
Moovitというアプリをインストールすると交通機関に乗るとき便利です。iPhoneのマップを見ると、現在位置が分かり、降りるところも分かります。

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