2021.05.08.東京海上日動 Challenge Stories~人生は、挑戦であふれている~

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さだまさしさんが“偽善活動”を続けるわけ (2021/05/08 放送)

先週に引き続き、今週も、4月21日にセルフカバーアルバム『さだ丼~新自分風土記Ⅲ~』をリリースした さだまさしさんをお迎えしました。

さださんはコロナ禍でも様々な支援活動を行っていますが、その出発点となっているのが、2015年に設立された『風に立つライオン基金』。この基金の名前は、さださんがアフリカで活動していた日本人医師をモデルに作った曲「風に立つライオン」から来ています。

「長崎大学のお医者さんで、ケニアにある熱帯医学研究所に2年間、巡回医療もひっくるめて出かけていった人が、僕がハタチの時(1972年)に帰ってきて。(同郷の)長崎の人なんですけど。それで、ケニアの話を聞いて感動して。僕はまだ歌い出す前なんですよ。デビューする前なんですけど。うわぁアフリカの歌作りたいなぁ、と思って15年かかったんです。だから87年まで出来なかったんですよ」

「15年目に歌を書いて。そしたら、いろんな人がこの歌に反応してくださったんです。売れなかったんですけどね、歌は。全然売れなかった、バブルの真っ只中で。ところが、だんだん医療従事者とか海外の商社マン、外交官、青年海外協力隊員がテーマ曲みたいに歌ってくれて。で、大沢たかおさんがこれを気に入ってくれて。凄いんですよ!(大沢さんは)この曲が大好きで、さださん、映画にしたいからって」

そして、2015年に公開されたのが、大沢たかおさん主演の映画版『風に立つライオン』。さださんはケニアのロケ現場にも行ったそうで、そこで『風に立つライオン基金』を立ち上げるきっかけがあったんだとか。

「その時にNHKのスタッフがドキュメンタリーを作りたくて追いかけてきてたの。で、彼らの独自の取材で、キベラっていう100万人ともいう大貧民街へ女の身一つで入っていって体の不自由な子どもたちを支援している日本人の医師がいるって聞いてビックリして、会える?って言って強引に会いに行った」

「華奢で可愛らしい人がこんなところで頑張ってるんだ…と思って話を聞いたら、一番困るのは円が下がることで、今まで支援していただいたお金が半分近くに下がると子どもたちも助けられないって。で、額を聞いたら、2000万、3000万っていうそういう大きさでやってるんじゃないんですよ、彼らって。それこそ、1年間にどなたかが100万円寄付してくださったらどれだけありがたいか…っていうのを聞いたら、これ、俺たちでこのぐらいの額だったらいけんじゃないの?募金して…っていうところで、(基金を)立ち上げたんですよ」

そんなわけで、海外で頑張る医師や看護師、教育者を支援するつもりで立ち上げたという『風に立つライオン基金』ですが、すぐに日本国内の災害被災者の支援なども行うようになります。

「立ち上げた翌月(2015年9月)に鬼怒川の堤防が切れて(茨城県の)常総が水浸しになっちゃって。初めて音楽団が出動したわけですよ、泉谷しげるさんと。それから始まったんですよ、1日1偽善」

「偽善活動やろうよ、1日1偽善ね。いいんだよ、さだ。みんな喜ぶんだから、なんて言われったってやりゃあいいんだよ!お前よう!なんて。で、泉谷しげるに背中を押され…」

さださんは、ご自身のチャレンジ精神についてこんなことをおっしゃっていました。

「一つは、物心つく頃にバイオリンを弾いてたっていうのは影響あるんだと思いますね。バイオリンのエチュードって、おんなじことを毎日毎日繰り返すんですよ。それで、おんなじことを繰り返せば上手になると思うじゃないですか。でも、ある時グーンと下手になるんですよ、不思議ですけど。で、下手になったら諦めるんですよ、みんな、そこで。でも、それを諦めないでまだおんなじことを続けてると、突然、天井がポンッ!って抜けるんですよ。突然ステップがポンッ!って上に上がるんですよ」

「それを子供の頃から何度か経験してくると、今、あーぶつかって壁だなぁっていうのが、当たり前になってるんだと思う。イライラしないんですよ、壁が。壁にぶつかってぶつかってぶつかってぶつかれば、そのうちパンッ!って天井が抜けるっていうふうに僕信じてるんじゃないかなぁ、自分で」

さださんはかつて、ドキュメンタリー映画の制作で莫大な借金を負ったこともあります。

「借金は怖かったですよ。だって見たことないお金だもん。見たことないお金だれが貸したんだろう?って貸した方を恨んだりなんかしてね。でも、返したね、30年かかって。ざっと35億でしょ」

「でも、たぶん、ちょっと無理するっていうのが普通だから。毎日ちょっと無理してるんですよね、僕。ちょっとだったら、あんまり力まなくてもできるじゃないですか。その“ちょっと”が毎日続くと“だいぶ”になってくるんですよね」

「自己破産したら?とかって言う仲間もいたんだけど。え、もうダメなの?言ったら、いや、もうダメってことはないけど、いずれダメでしょ、この金額は…ってみんなから言われて。でも、転ぶまでやらして、って俺は言った。倒れたら俺は謝るから倒れるまでちょっと我慢してよ、って言って30年。我慢してくれたスタッフ、我慢した俺」

「もう走り切るしかないから、その時のルーティーンは今でも自分の生活のルーティーンになってるから、逆に言うとコロナが苦でもなんでもない。怖いけれども生活の中では不自由を感じないですよ」

さださんは“偽善活動”についてこんなこともおっしゃっていました。

「現場に行くって怖いの。要は、未だに偽善者!っていう罵りが怖いんだろうなぁ。泉谷さんと動くようになってから、1日1偽善とか、偽善活動は正しいとか、いろんなことを言って、やってはいるんだけど、それでもやっぱり、心無い言葉っていうのは常に投げかけられる仕事なんで。あータイミング間違えた、失礼したなぁって思うけど、それでも繋いで、どうにか そこの人と繋がっているっていう勇気は、災害に教わったんですね」

「なんだコイツ、何しに来た?おらぁ、っていうような目つきされてる時でも、ちゃんと挨拶して、またちゃんと来ますからね、って繋いでおくと、1週間、2週間、1ヶ月たつと、ちょっと和らいできて。で、落ち着いたら歌いに行きますからね、って言ったら、あ、嬉しい、って今度は言ってくれて。そういう不思議な流れになっていくと忘れられないですね」

最後に、さださんはご自身にとっての挑戦についてこう話してくれました。

「年を取れば、ミュージシャンに限らずダメになっていく、失われていくものの方が多いんですけど。人間ってそういうもんなんですけど。でも、成長したいんですよ。つまり、降りてくるエスカレーターを逆走するような思いで、僕はそれでも2階へ上がろうとしてるんです、毎日毎日毎日。ちょっと休むと下に下がっていくから」

「僕の挑戦っていうのは…ま、ホントにやっちゃダメですけど…下りのエスカレーターで2階に上がることですかね。ホントにやっちゃダメですよ(笑)。人生の下りのエスカレーターを逆走していくっていうのが僕の挑戦ですかねぇ」

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